最近、夢と現実の境界が曖昧だ。

というのはたぶん違くて、曖昧にしたいという方が近いと思う。

 

だって、これは現実であった出来事で、これは夢でみた出来事だと、ちゃんと区別しようと思えば出来るから。

 

曖昧にしたいというのはその方が心地よいからで、うたた寝を心地よいと感じるのと同じだと思う。

 

寝起きで頭が朦朧としていたり、金縛りにあっている時のユラユラしてるその感覚が心地よい。

 

思い返せば最近のことでもない、いくらか前からそうだったようにも思う。

 

ボクは躁鬱病と社会性不安障害を患っている。


患っているというのも、病院でそのように診断され、自分もそうなのであろうと認識しているから。


精神病なんてそんなものだと思う。


精神病なんてただの甘えだと言われてしまえば、「そうですよねぇ」とも思ってしまう。

 

だから、夢と現実の境界が~なんて言ってるのも、「ただの現実逃避だろ」って言われてしまえばそれまでなのだけれど。

 

それでも、今日は朦朧とした頭で、なんとなく、その事について書いておきたいと強く思った。

 

夢と現実の間にいるときに自分が考えてることを書き残しておきたいと。
夢の日記とも言えるし、アイデアメモ、或いは遺書とも言えるかもしれない。

 

遺書なんて言ったら、こいつ自殺でもするのか?と思われてしまいそうだが、たぶんボクは自殺はしないと思う。

 

自殺をするなんてめんどくさいし、そんなことで周りに迷惑はかけたくない。

 

痛いのは苦手なので、死ぬときは老衰で眠るように死にたい。なるべく迷惑のかからないように。

 

今はまだ、生きて何かを成したいとか、大義名分が欲しいと、どこかで思っているのかもしれない。
森山直太朗の歌にあるように、くたばる喜びはとっておきたいとも思う。

 

遺書というのは、ボクが死んだ後に、知人がこれを読んで「あー、こいつこんなこと考えてたんだな」っていうのが分かったら面白いかなっていうのと、後は、私に関わってくれた人、もとい、迷惑を掛けてしまった人達への懺悔のような意味でのものである。


特には、親父への懺悔。

 

親父はいつも朝早くに仕事へ行き、夜遅くに帰ってくる。

 

ボクはいつもそれを玄関の重たいドアが開閉する音だけで認識していて、いってらっしゃいとか、おかえりと口に出して言うことはあまりない。


家の中で会えば言いはするが、ちゃんと顔を見て言うことは本当にない。

 

それは、どこか恥ずかしかったり、気まずかったりするからで、夜遅くに、外から鍵が開けられて、ドアが開き、(父親には部屋がない為、)真っ先にリビングへ歩いていく音が聞こえて、「あ、親父が帰ってきたな」と分かり、しばらくしてリビングに行くと、疲れて歯を磨いたままソファーで寝てる親父を見つけては、こんな出来損ないの息子で申し訳ないといつも思う。

 

だから、これから書いていく記事は、いつか親父には見つけて読んでもらいたいと思う。

大分話がそれてしまいました。

 

最近は1日の大半が寝るか起きるかで、起きていても金縛りにあって頭が朦朧としていることが多い。


寝ても寝ても、睡魔に襲われるのは、飲んでる精神薬の副作用のせいでもあるのだが、現実逃避とか自己防衛の影響の方が強いと思う。

 

現実で何かが上手くいかないとき、何かに追われているとき、嫌な感情を忘れたくて気持ちが酷く鬱ぎ込んでいると、睡魔に襲われる。

 

負の感情を忘れさせる為に、脳が身体を寝ようとさせているのだと思う。

 

「結局はただの現実逃避じゃねぇか!」と書いていて自分で思ってしまった。

 

それでも実際、現実は辛くて、忘れたかったり、目を背けたくなることの方が多い。

 

「間違っているのはボクじゃなくてこの世界の方だ」なんて『東京喰種』の金木くんみないなことを言いたくもなる。

 

今日は大学の知り合いの方とお仕事の打ち合わせをするために数日ぶりに朝から家を出たのだが、そのお陰で久しぶりに現実に戻ってこれた気がする。


勿論ここ数日、演劇の稽古とかで家から出る用事はあったのだが、稽古は夕方から夜にあるので、寝起きの頭で、半分白昼夢なんか見てるかのようなそんな感覚で出掛けていた。

 

どうしても人に会わなきゃいけない大事な用事であったりがなければ、寝てばかりの朦朧とした状態から現実に戻って来れない気がする。

 

そんな風に「いま自分は現実にいるんだな」と思わせてくれるのは、お風呂で温かいお湯を頭から浴びてる時と、肌で生き物の温もりを感じるときくらいだ。

 

まだ飼い猫が生きていた頃は、寝ていると、飼い猫が布団の上に乗ってきて一緒に寝にたり、お腹が空くと鳴いて近づいてきたので、目が覚めては猫を撫でてやり、小さな温もりを感じて安心していた。

 

あとは、写真もそうかもしれない。

 

ボクはフィルム写真が好きで、街に出掛けてはフィルムスナップを撮る。

 

フィルム写真の原理は、簡単に言うと、レンズから入った光によってフィルムに像を焼き付け、それを薬品(現像液)に浸けることで画像、映像を出現させるといったものである。

 

多くの人は、「今更なんでデジタルじゃなくてわざわざフィルムカメラで撮るの?」と思うかもしれないが、レンズから入った光が、『データ』としてではなく、『物体』としてのフィルムに焼き付けられるという現象こそが、ボクが見ているものは現実なのだと、自分の意識を現実に留める役割をしていれてくれているようにも感じるからだ。

 

写真についての話は書くと長くなるので、また別の機会に書きたいと思う。

 

ボクを現実に引き留めてくれるのはそれくらいかもしれない。

 

だから、現実で、社会で、当たり前のように起きて、当たり前のように仕事をしてる人達は本当に凄いと思う。

 

自分には到底出来そうにない。


やっぱり、現実には楽しいとか嬉しいって思えることよりも、辛いこととか、悲しいことの方が多いと思ってしまうから。

 

モンハンワールドは楽しいけど。

 

勿論、夢でみる出来事が楽しいことばかりかと言われれば、寧ろ悪夢をみることの方が多いのだが

 

今日みた夢は

 

武田鉄矢と一緒に歌い、ふたりで泣きながら抱擁しあう夢

 

キテレツ大百科』のキテレツ君とドラえもんが共演する夢

 

久しぶりに再開した高校の頃の友達が凄く大きなタバコ(普通のサイズのタバコを束にして紙で包んだもの)を吸うのではなく食べてしまって、それにドン引きした夢だった。

 

悪夢でもなんでもなかったと思うんだけど、朝起きたらTシャツが汗でぐっしょりで、目覚めは良くなかった。

 

それで、朦朧とした頭で、そろそろ出掛ける準備をする時間だから無理やりにでも起きなければと、眠気と格闘しながらも、何かを書こうかなと思いつき今に至る。

 

そんな話でした。